根本的な信頼を得るということ

しばらくはその気持ちをばからしいと思ったし、湿っぽすぎると見ないふりをしていた。ときどき成長を見せてもらえるので十分だし、シッターを頼まれたら嬉しいけど今後もそうやって自分のことを横に置いて喜んで会いに行ってしまうことを自分のことながら不安に思ってもいた。だから特別な期間が無事に終わったいま、喜んで受け入れて次に進まなければいけないと思った。けれど、帰国後の成長ぶりをみると歓喜よりも切ない気持ちが大きくなってしまってSNSを見ることもいつしかやめてしまった。

だから自分も自分の子供がほしい、ということではなかった。そのことに混乱した。そうだったらシンプルなのに。そういう対外的な辻褄の合わなさが自分の心の状態を人にうまく説明できない理由だった。

そんななか、偶然メッセージのやりとりをしていたぬかづきさんウェブマガジン「アパートメント」で長く私の記事にレビューを寄せてくれていた)にはずいぶん癒され励まされた。アパートメントで知ってる人には説明不要だけれど、優しさとユーモア、物事に対する冷静な視点を兼ね揃えた文章が魅力的な彼は、ヒトやサルの授乳・離乳を研究している研究者だ。「もしかしたらぬかづきさんにはこの心情を話せるかも……」と思って最初は少しだけ今回の出来事について触れただけだったのだけど、小さなお子さんのいるぬかづきさん自身の実体験やヒトの子育てに関する話を伺って腑に落ちたり、絡まった心情に理解を示してくださったりと大いに救われた。

やりとりのなかでドキュメンタリー映画「沈没家族」をお勧めしてもらったことも効果覿面だった。1990年代半ばにシングルマザーの母親がさまざまな若者に共同保育を呼びかけ、シェアハウスをしながら子育てに奮闘した「沈没家族」。そこで育った子どもである監督が自ら母親や保育人に当時のことをインタビューし「家族」を見つめ直した作品だ。そこには子育て経験のない若者がかわるがわる子育てに参加し、それぞれの距離感で子どもと接した記録が当時のノートや写真、映像とともに映し出されていた。関わった期間や濃度はそれぞれだけれど、子育てに関わる喜びや奮闘をみな湛えているように見えた。

親子だけの話ではなく、1対1の関係は尊い。そういう条件が揃うことがまず少ないし、不純物のない完璧な状態を思わせる。今回私が赤ちゃんとつくった関係性は限りなく1対1に近いものだったと感じる。話せない赤ちゃんにこんな風に言うのは身勝手かもしれないけれど……。しかし、理想的なのはこぼれ落ちるものや満たされないものがあるとしても特定の個人に完璧を求めずに接点を外に広く求めることなのかもしれない。

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