アダム、はじまりの恋人たち
今年の3月から4月に掛けて訪れたチェコ滞在の1週間前の週末、インスタグラムを通じて不思議な連絡をもらった。
知らないアカウントから突然のDM。大抵はスパムまがいのものなのでスルー、でも、念のため。メッセージを見るとスパムらしからぬ文面。
今年の3月から4月に掛けて訪れたチェコ滞在の1週間前の週末、インスタグラムを通じて不思議な連絡をもらった。
知らないアカウントから突然のDM。大抵はスパムまがいのものなのでスルー、でも、念のため。メッセージを見るとスパムらしからぬ文面。
先週は初めて訪れた松本の印象を民芸をキーワードに書いた。松本民芸館に行けば国内外の手仕事に出会うことができるけれど、本当は松本の街を歩くだけでも、「古き良き」人の暮らしの気配が感じられる場所が点在している。その多くは小売りのお店やカフェなどの小さな個人商店だった。
私的なベビーシッター体験を思い起こして書いた先日のブログは、私の予想と反して数日のうちに最も読まれた記事となった。普段インテリアや蚤の市について書くことはとても楽しいけれど、自分の心のなかのことを書くことは苦楽以前に必要なことなのかもしれない。自分にとってインテリアという言葉が物質を表しているのではないことを改めて思う。物も人間も記憶のような掴み所のないものさえも、インテリアのなかで溶け合っている。
今年の夏、初めて松本市を訪れた。行きは新宿から高速バスで帰りは「あずさ」に乗って。行きのバスは渋滞で予定よりも1時間半遅い到着になり少しくたびれたものの、東京からのアクセスの良さに驚く。それでも大きな夏雲と北アルプスの山々が街からも見える景色は旅心くすぐるのに十分な非日常だった。
赤ちゃんとほとんど無縁の人生を歩んできた私が赤ちゃんのシッターを頼まれるとはそれまで思いもしなかった。これは頼まれた当初私が子育てについて無知だったからこそ引き受けられた話であり、依頼主である友人と私のあいだに未知のことにともに挑戦できるほどの絆があったからこそできた話。知ってしまった今は、同じことを同じ熱量でできる自信はない。今日書くのはその赤ちゃんと私のあいだに起こった出来事。
フィン・ユールを中心にデンマーク発の有名な椅子を堪能できる展示が10月9日(日)まで東京都美術館で開催されている。
もうすぐ秋が来たらバルセロナから東京に戻って1年が経つ。あっという間だったと言ってしまえばそれまでの、慌ただしいような空いた穴を感じないようにするのに精一杯のような、少し情けない気持ちでこの1年を過ごしてしまった。「例の疫病のせいで」と時間の使われ方や物事の濃度をボヤかすのにこれ以上慣れてしまいたくない。
夏真っ盛りの暑さが何日か続いたと思えば、このところは涼しく感じる日が増えた。
雨が降ったり、重々しく曇ったりするバルセロナを暮らすまでは想像してみたことがなかったけれど、季節の変わり目や秋・冬は割とそういう天気に見舞われることが一年を暮らすうちにわかってきた。
自分が何かを継続的に勉強したり、何かを習慣にしたりすることがとても苦手なのだと気がついたのは割と最近のことだった。最初は意欲が湧くのに続かない勉強。ヨガやストレッチのようなものもルーティンになったことがない。そんな私だけれど、蚤の市通いだけは習慣になっているとそろそろ言ってもいいかもしれない。
蚤の市以外にも思いもしないものが見つかる場所に、リサイクルショップは外せない。これは個人的な興味の問題でもあると思う。物そのものの魅力を愛しているけれど、同時に物がもつ個人史のようなものに私は惹かれている。