考え、祈り、集中すること

考え、祈り、集中すること

私たちは生まれる場所を選べない。生まれる時代も、たぶん生まれる星も。そのどうしようもないことに時々思い当たり、心底不思議に思う。例えば戦争のニュースを聞くとき。当該国とされる国々の、いずれの市民でもある可能性があった(ある)のではないかということ。

昔々、なにも知らなかったとき。戦争はのっぴきならない理由があって起こるものだと疑わなかった。同時に国連などの国際機関が人道的に正しい判断のもと正義をリードするのだとなんとなく信じていた。知らないということはそういうことをなんとなく雰囲気で、なんとなく当然のように思い込み、遠くの出来事として無意識のうちに外へ追いやることなのかもしれない。

イスラエルとパレスチナに現在起こっていることを見ても、戦争がはじまるのはのっぴきならない理由が直接的な原因じゃないことは明らか。その戦争に至るまでにあらゆる争いや迫害の歴史があり、いくつもの国の損益が絡み合い、騙し騙され、そのあいだにも世代交代は進み、繁栄と搾取が折り重なり、憎しみは利用され火種となる。

最初に認めなければいけないのは、私にはイスラエルに滞在歴があり、よい友だちがいて、この悲劇をどうしてもイスラエル側から見てしまうところがあること。最初のハマスによる襲撃が伝えられたとき、私はもちろんイスラエルにいる友人を心配したし、世界(正確にはちがう。西欧諸国のこと)も大方そうだったように思う。

その後、ガザ地区のパレスチナの人々のライフラインを断ち 彼らを human animals と呼ぶコメントをイスラエルの国防相が放ったことをきっかけに国連をはじめパレスチナ擁護の声が世界中で日に日に大きくなっている。(私も勉強しているところなので、ハマスをパレスチナの代表と見做すかどうかの議論はここではできません)

先日目にした投稿に欧州にいるパレスチナ人がこの状況をどう見ているかと問われ、「これまでこれほど世界がパレスチナのことを気にしてくれたことは一度もなかった」と語ったという話が書かれていた。自分自身を振り返ってもそう認めざるを得なくて恥ずかしい。

事実、今回の戦闘で殺害された人々の数はイスラエル側のそれと比べようがないほど、パレスチナ(ガザ地区)側のほうがずっと多い。今回に限らず、これまでのミサイル攻撃でもそうだった。イスラエルにはアイアンドームという強力な迎撃ミサイルシステムがあるので、実際に着弾するのはわずか。事実上の占領支配と言われる通り、両者には圧倒的な非対称さがある。明らかに人道的に誤ったことが国際的に容認され続けている。

だけど、じゃあイスラエルの人々はこの事態が恐ろしくないのかと言ったら違うだろう。イスラエルでは18歳から男女ともに兵役があり、20歳前後という多感な年代に誰もが厳しい訓練を経験する(※ユダヤ教超正統派などは免除)。あらゆる争いの火の粉が降って来かねない国の国防を国民一人一人が担っている。

ミサイルが飛んでくるときには警報が鳴り、各住まいの地下につくられたシェルターに逃げて無事が確認できるまで過ごす。今回の戦闘以前は頻繁にあることではないと聞いていたけれど、それでもそういった可能性がある国に暮らすということは日本の生活からは想像しずらいことだと思う。

私が2週間ほど滞在したテルアビブはアートや食文化が栄えた街で、海辺を中心とした穏やかなライフスタイルを好むリラックスした人々が魅力的だった。雰囲気が一年暮したバルセロナに似ていて、それは同じ地中海に面していることや海と市街地の近さが育むものなのかもしれない。滞在したときは状況が落ち着いていてパレスチナは訪れなかったもののエルサレムや死海、ミツぺ・ラモンなど南部のほうもひとりで旅行した。

テルアビブでは夜遅くまで海辺でピクニックしながら仲間たちと話したり踊ったりして過ごして、エルサレム行きのバスのなかでは迷彩服を着て大きな銃を持つあどけない女の子や男の子たちと乗り合わせる。まるでスポーツの合宿中かのような雰囲気で母親に電話したりする傍に大きな銃。そのギャップにくらくらしたし、イスラエルの現実を垣間見たと思った。誰もが一度は銃を持ったことがあるということ。

私が訪れた2019年の9月、イスラエルでは総選挙が行われていて、ミツぺ・ラモンで出会った現地の友人とその仲間たちは右翼化が著しい選挙結果を憂いていた。満月の星のない夜にネゲヴ砂漠で焚き火を囲んでヤカンで沸かしたお茶やアラックを飲みながらぽつりぽつりと話す様子を私はじっと見ていた。日本で自分の周りにいる人たちでは共有しているように思われていた政治的方向性が、実際の選挙になるとほとんど影響しないことの落胆を思い出していた。

遠い国で起こる争いを見聞きするとき、そこにいる人間を知っているかどうか、それは片方なのか両方なのかですべての出来事の見え方や感じ方は容易に変わってしまう。このことを痛感している。危険だとも思う。できるだけ公平に、冷静に状況を知りたいと行動すればするほどあらゆる場面で板挟みになる。これは構造自体が二重構造なために避けようがない。

夢を持って広がっていった国際交流の時代はその表面的な儚さゆえにもうとっくに終わっていたのだと思う。友達は世界中にたくさんできた。でも戦時下には役に立たない?

国も言葉も文化も超えて認め合えるはずだと思ってきたけれど、なにか重要なことを見ないまま夢を語ることはできない。最初からバランスよく知っていることはほとんどないし、それぞれの国の具体的な誰かを知っていることは時に苦しい。逃げてやり過ごさずに「考えること、祈ること、集中すること」という全く違うチャンネルを自分の中に持ち得るのか考えて早速泣きたくなる。もちろん泣いても解決しない。

自分のことに集中するのは自分自身が良い世界の一部になるために必要だと思う。同時に考えることや知ることも、祈ることだって必要だろう。できるなら自分が直に知る人との対話も。それがきっかけでさらなる板挟みや混沌に引き込まれるのを怖いと思う。だけど友達の声を聞きたい気持ちが怖さを少しだけ上回る。その上澄みの部分を大事にしたい。

参考:
パレスチナ問題ってなに? 1からわかる!イスラエルとパレスチナ(1)
TUP速報1026号 「人権の彼岸」から世界を観る――二重基準に抗して
イスラエル・パレスチナの最新ニュース・特集一覧(NHK)
イスラエルの日常、ときどき非日常(4) 共通体験としての兵役(3)|山森みか

You may also like