、よりもひとりの人間で

、よりもひとりの人間で

先日、15日間かけて母とスペイン・フランスを旅してきた。
当初は父も一緒に行く予定だったものの仕事で都合がつかなくなってしまい、父も揃ってとなるといつ実現するか全く見えない。ここ数年で「行ける時に行かねば叶わない」ということがすっかり身に沁みていたので、とりあえずふたりで行こう!と昨年中に決めていた旅だった。

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身体の内側に触れるな

身体の内側に触れるな

20代半ばくらいまでの私は本当によく食べ、よく飲む人間だった。といってもアルバイト雇用が長かった私の収入は当時とても少なかったので普段からたくさん食べるわけではない。バイト先での賄いや誰かがご馳走してくれる時に食べる量が人よりも多いというくらいだったけど、とにかく食べるのでよく驚かれた。

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女友だち

女友だち

幸せなことに、友人には恵まれてきたと思う。いじめに起因した不登校時代を含めても、私に大好きな友人がいなかったことは片時もなかった。その多くは女性で、とりわけ年上の友人が多い人生を送っている。

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アダム、はじまりの恋人たち

アダム、はじまりの恋人たち

今年の3月から4月に掛けて訪れたチェコ滞在の1週間前の週末、インスタグラムを通じて不思議な連絡をもらった。

知らないアカウントから突然のDM。大抵はスパムまがいのものなのでスルー、でも、念のため。メッセージを見るとスパムらしからぬ文面。

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手でつながる街、長野・松本(お店編)

手でつながる街、長野・松本(お店編)

先週は初めて訪れた松本の印象を民芸をキーワードに書いた。松本民芸館に行けば国内外の手仕事に出会うことができるけれど、本当は松本の街を歩くだけでも、「古き良き」人の暮らしの気配が感じられる場所が点在している。その多くは小売りのお店やカフェなどの小さな個人商店だった。

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わかること、知り得ないもの

わかること、知り得ないもの

私的なベビーシッター体験を思い起こして書いた先日のブログは、私の予想と反して数日のうちに最も読まれた記事となった。普段インテリアや蚤の市について書くことはとても楽しいけれど、自分の心のなかのことを書くことは苦楽以前に必要なことなのかもしれない。自分にとってインテリアという言葉が物質を表しているのではないことを改めて思う。物も人間も記憶のような掴み所のないものさえも、インテリアのなかで溶け合っている。

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手でつながる街、長野・松本(民芸編)

手でつながる街、長野・松本(民芸編)

今年の夏、初めて松本市を訪れた。行きは新宿から高速バスで帰りは「あずさ」に乗って。行きのバスは渋滞で予定よりも1時間半遅い到着になり少しくたびれたものの、東京からのアクセスの良さに驚く。それでも大きな夏雲と北アルプスの山々が街からも見える景色は旅心くすぐるのに十分な非日常だった。

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根本的な信頼を得るということ

根本的な信頼を得るということ

赤ちゃんとほとんど無縁の人生を歩んできた私が赤ちゃんのシッターを頼まれるとはそれまで思いもしなかった。これは頼まれた当初私が子育てについて無知だったからこそ引き受けられた話であり、依頼主である友人と私のあいだに未知のことにともに挑戦できるほどの絆があったからこそできた話。知ってしまった今は、同じことを同じ熱量でできる自信はない。今日書くのはその赤ちゃんと私のあいだに起こった出来事。

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バルセロナからの蚤の市便り、最後の出来事

バルセロナからの蚤の市便り、最後の出来事

もうすぐ秋が来たらバルセロナから東京に戻って1年が経つ。あっという間だったと言ってしまえばそれまでの、慌ただしいような空いた穴を感じないようにするのに精一杯のような、少し情けない気持ちでこの1年を過ごしてしまった。「例の疫病のせいで」と時間の使われ方や物事の濃度をボヤかすのにこれ以上慣れてしまいたくない。

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