バルセロナからの蚤の市便り、最後の出来事

バルセロナからの蚤の市便り、最後の出来事

もうすぐ秋が来たらバルセロナから東京に戻って1年が経つ。あっという間だったと言ってしまえばそれまでの、慌ただしいような空いた穴を感じないようにするのに精一杯のような、少し情けない気持ちでこの1年を過ごしてしまった。「例の疫病のせいで」と時間の使われ方や物事の濃度をボヤかすのにこれ以上慣れてしまいたくない。

本当に久しぶりの投稿になってしまったけど、思い出しながら書きたいことがある。バルセロナを去る直前まで通ったエンカンツの蚤の市ですっかり顔見知りになった店主のJaferのこと。行けば大抵の場合は出店していて、私をみるなり親密な笑顔でHola guapa! と声かけしてくれる気のいいおじさんだ。最初の頃はスペイン語がずっと下手だったので相手の言っていることもいまいちわからず買い物に来る私を心配し、「荷物は前でしっかり持って」とか「お財布は隠せ!」と注意してくれた。別れる際には「身体に気をつけるんだよ」と毎回言ってくれるおじさんだった。

ほかのエンカンツの出店者も気のいい人はいたけれどJaferは格別に優しかった。何度か訪れるうちに他のお客さんや出店者とも仲良さそうに挨拶しているのを見かけていたので、彼の親密さは根からのものなのだと思った。店主としては謎が多く、エンカンツを凝縮したような玉石混交具合というかマチマチな品揃えのわりに魅力あるものが見つかる確率が高かった。時には一生懸命買いたいものを探そうとしても無くて「また次の機会にね」といって手ぶらで帰ることもあったけど、Jaferは特に気に留める様子もなくいつも同じ調子だった。言い値が極端に安いこともままあって、何を聞いてもcinco euro(5ユーロ)と答えることが続いたのでしばらくは彼のことをcinco おじさんと呼んでいた。

Jaferのお店で買ったものたち Part 1

Jaferという名前をちゃんと聞いたのはほとんど帰国直前のことだった。もうすぐ帰国するんです、とある日エンカンツで伝えると「それならランチをしよう」と誘ってくれた。社交辞令かと思い気持ちだけ頂戴して遠慮しようと考えているうちに、Jaferは「仕事のない日曜日の昼間に」とどんどん話を決めてしまう。「行きつけのトルコ料理店がうまいんだ」とお店までその場で決まった。それなら何かあった時のために連絡先を交換しようか?と尋ねたところ、なんとJaferは携帯を持っていなかった。当日無事に会えるのか?

ドキドキしながら向かった待ち合わせのお店。5分ほど遅れてしまったもののスペインでそのくらいの遅れは遅れに入らないと思い込んで特に気にしていなかった。しかしJaferはおそらく時間通りに来ていたらしく、お店の前に立ってわざわざ待っていてくれたのを見て申し訳ない気持ちになった。私を見つけると顔中にホッとした色が浮かんで、いつも通り親密に声をかけてくれた。

「どんどん食べなさい。ここのスープは美味しいよ!ケバブは何にする?飲み物はコーラでいい?なーんでも食べて!」お店中の人たちが知り合いなのか、みなに挨拶しながら席につくなりあれこれとオススメしてくれる。ご馳走してくれるらしい。Jaferからはいろいろ買い物させてもらったけれどこちらが大金を払ったわけでもなく、当然ご馳走になるつもりではなかったのでとても戸惑った。しかしJaferは引かない。それならばと彼の親切に甘えることにして、おすすめのメニューを頼んでもらった。そしてお昼時にも拘らず、Jaferはコーラしか頼んでいなかった。

Jaferのお店で買ったものたち Part 2

Jaferはトルコからの移民だということをその日知った。詳しい経緯は知らないけれど、バルセロナに来てもうずいぶん経つらしい。最初は土木系の仕事について内装業に携わっていたそうだけれど、その後に蚤の市の仕事をするようになったと言っていた。自身の家族はいないらしい。休みの日には何をしてるの?と尋ねたら「特に…… 家にある古陶器やガラクタを触っているよ」と答えたJaferに好感を持たずにいられなかった。話をしながらボリューミーなケバブを必死の思いで平らげたあと、店主がにこにこしながら注文していないお菓子(バクラヴァ)を持ってこちらに向かってくるのを見て「わぁ!?」と思ったけれど、こんなに良くしてもらって本当に有り難かったのでしっかり頂いた。「バクラヴァに合うから」とJaferが苦いコーヒーを一緒に注文してくれた。蜜が何層にも掛かった甘い甘いお菓子はコーヒーの苦さも打ち消すほどで、ひたすらに満足感が残った。

翌日、Jaferにお礼がしたくてお昼前に日本料理屋でお寿司ランチボックスと好物のリンゴジュースを買いエンカンツに向かった。日持ちしないものを買ってしまったので、予想通り出店しているJaferを見つけることができてホッとした。彼がイスラム教徒であることを知った後だったので食材に気をつけることができたのもよかった。これで少しはお返しができたかな……と思っていたところ、すかさず「本当のお別れ前のお茶をしよう」と誘ってくれて出国3日前に再びトルコ料理店でコーヒーをご馳走してくれたので、今日まで結局十分なお返しはできていない。2度目のお茶のお別れの時にも「出国日、ちょっとでも時間があったらエンカンツに寄って!あなたにプレゼントをあげよう」と言われ、終わらない出国準備を途中で投げ出してエンカンツまで走ったのだった。

行き慣れたエンカンツの蚤の市の場内を駆け足で巡るとJaferがいた。「Jafer!きたよ!」というと「おお!用意してあるよ!」と椅子の横に置いてあった紙袋の中から古紙できちんと包まれた包みを渡してくれた。その場にあるものではなく、ちゃんと用意されていたものを受け取って胸が熱くなった。最後何か彼から買いたいと思い、足元にあった素敵なキーホルダーをいくつか掴んでいくら?と尋ねるも「あげる」と言われてしまう。1年続けてきたこういうやりとり自体が帰国したらしばらくないのだと思うと寂しい。数分しか滞在できない状況で慌ただしく、でもできるだけ思いが伝わるように、真っ直ぐJaferに今までのお礼を伝えてエンカンツを後にした。待ちきれず帰りの地下鉄でもらった包みを開けてみたら、Jaferがあまり普段お店に並べていないようなコスチュームジュエリーや時計、バルサのサポーターグッズお財布とシックなお財布が出てきて驚いたのだった。いかにも贈り物という感じのするラインナップにJaferの気遣いを感じた。

たった1年の滞在かつ初級者レベルのスペイン語力で、できる経験は限られているだろう。自分の居場所を見つけるのはどこにいても難しいものだけど、エンカンツの蚤の市はあらゆる場所のなかでも私にとっては特別で自分らしさを発揮できる場所だった。言葉が辿々しくても、誰かと会ったりする元気がないときでも、ここでなら私は自分で自分の心を元気にすることができた。そんな場所で知り合い、仲良くなったJaferは私にとって恩人のようなもの。与えられた人間関係ではなく、すれ違うたびに少しずつ親しくなっていったような自然体の人間関係を築けたことに感謝している。遠くない未来、彼とまたエンカンツで再会し、トルコの甘い甘いお菓子をつまみたい。

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