、よりもひとりの人間で

、よりもひとりの人間で

先日、15日間かけて母とスペイン・フランスを旅してきた。
当初は父も一緒に行く予定だったものの仕事で都合がつかなくなってしまい、父も揃ってとなるといつ実現するか全く見えない。ここ数年で「行ける時に行かねば叶わない」ということがすっかり身に沁みていたので、とりあえずふたりで行こう!と昨年中に決めていた旅だった。

気ままなひとり旅でもなく、昨年の同時期にした友人と(その赤ちゃんと)の旅とも違う母娘旅。

両親は普段夫婦単位で動くことが多く、私との普段の交流は付かず離れず2ヶ月に一度ほど会って近況を話すくらい。昔から手紙のやりとりは時々したり、特に母とは今までも赤裸々にいろんな話をしてきたけれど、友人のような関係性というわけでもない。特に最近の私は両親に馴染みのないものに関心を持つことが増えていたので、共有できることも以前と比べてずいぶん減った気がしていた。

だからこそ降って沸いたような旅行だったけれど「母娘だなんて雑誌の企画みたいにキラキラしてて悪くないな」と最初は楽観的だった。美術や建築、見たいお店のテイストは似ているので好都合。

今回が母にとって初めてのヨーロッパ旅行。とりわけ美術館巡りを楽しみにしている母なので、自ずとスケジュールは過密になった。マドリードではプラド美術館、バルセロナではピカソ美術館に加えてアントニ・ガウディの建築群、エクス=アン=プロヴァンスではセザンヌの晩年のアトリエ、ニースではマティス美術館と郊外にあるロザリオ礼拝堂、パリではオルセー、オランジュリー、ルーヴル、ポンピドゥー!

その合間を縫うように食事を予約し、買い物の時間をつくり、束の間友人たちと会ったりした。15日間、母も私も休息らしい時間をほとんどまともに取ることができなかった。旅程の過密さと絶対に逃せない緊迫感のある移動スケジュールがもたらした心身の疲れは、放つ言葉のひとつひとつをトゲトゲしくしたしお互いの許せないことが積み重なるとすぐさま口論になった。

最初の爆発は私の自爆テロのようなものだったので母には申し訳ない気持ち。それは早くも旅の最初の街マドリードで起こった。「旅をちゃんと成功させて母に褒められたい」という思いが強すぎて、そのプレッシャーと自己顕示欲に自ら(あまりに早く!)潰れた結果だった。

英語やスペイン語が話せても、旅程の管理や下調べが得意でも、それらは今まで両親の役に立つこともなければ腕前を見せる機会すらないものだったので「今度こそ役に立って褒められるかもしれない」と息巻いていたのが幼稚で恥ずかしい、正直な気持ちだった。親孝行の意味がまだわかっていないとしか思えない。

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