、よりもひとりの人間で

役に立つものをこれまでの人生でほとんど選ばなかったのは私の特徴だ。(語学だけは私の選んだ数少ない役に立つものだけど)

だからなのか、明快な幸せや労りや証のようなものを両親に差し出せた覚えはひとつもない。あちらが「そんなことはない」と言ったとしても、こちらはそう思うことを止められない。私はそういう悩みを持ってしまう年代の真ん中にいるのだと思っている。わかりやすく役に立ち、(そしてできるなら)わかりやすく褒められたい。そんな願望が自分でも意外なほど根深かったことを知った。

その後何度も起きる爆発は、「互いのわからなさ」が何度話しても通じ合わないということに起因した。言わなければわからないと主張する私と、自分の正直な気持ちを言葉にするのをどうしても苦痛に感じる母。普段それぞれがとっているコミュニケーションのあり方が正反対に近いことを考えればこの違いはどうしようもないのだろう。それでもぶつかってわかりあいたかった。

言わなくても通じ合っているという考えは誤解を多分に含んでいる。長かろうと短かろうと、その誤解の総量は永遠に変わらないと思う。私は語学を学ぶことがそういう思い込みを和らげるのに役立っていると感じている。

私の頑なさは結果的に母を何度も泣かしてしまうことになり、帰国後ひとりでノートに反省点を書き連ねることになった。良かった点よりも反省点はずっと多い。せっかくの旅行で泣かせるなんて非難されて当然だと思う。

結局、私には母娘という言葉はしっくりこなかったのだ。そういう特殊な関係性の枠内に収まるのではなくて、ひとりの人間として大事にしたりされたり言葉を掛けたり掛けられたりしたい。

旅が終わり、記憶が冷めやらぬうちに作成したフォトアルバムのタイトルには私と母の名前を入れた。当初仮で付いていた母娘旅というよりも、私たちらしいと思ったから。

苦い思い出もできてしまったけどフォトアルバムを作るときはハッとするほど嬉しそうな母のポートレートがいくつも見つかった。一生の思い出と言ってくれた母の言葉を、今こそ素直に受け取ってみる。

You may also like