『愛するということ』と、その後

『愛するということ』と、その後

『愛するということ』(The Art of Loving)はドイツの社会心理学、精神分析、哲学の研究者であるエーリッヒ・フロムの著書。初版は1959年、私が読んだ新訳版は1991年に出版されている。最初に出版されて60年以上経つにも拘らず、本書が説く「愛」「愛する技術」は古びるどころか現代ますます切実さを帯びて響いてしまうようだ。(初版当時の物言いや時代ゆえの古さはある。その点、新訳版がおすすめ)

私が愛と言ったとき、それは友愛のことを指している。

私がこの本を読もうと思ったのは、恥ずかしいけれど、他人を愛することにも自分を愛することにも自分が好きな物事への愛情に対しても、近頃自信が持てないでいるからだった。愛しているとは思う。けれど、自分自身への不信感が拭えなかったり、自分のなかにある愛情は相手の出方次第で揺れる程度でしかないのでは?という疑念が付きまとった。そして、愛されないのに愛しつづける(しかないという思い込みだけれど)はただただ苦痛だった。

だから、この本が私の問題を整理してくれるのではないかと期待していた。実際、愛することを「技術」として捉えて身につけるためには習練が必要なのだという前提や、修練に必要な資質として挙げられた内容はとても内に響いた。それらは例えば、楽器や語学を身につけるために必要なこととも言える普遍的な資質だった。

だから愛することは積み重ねであり、すぐに結果や成果に辿り着けるものではなく、むずかしい。ただ、誰しも正しく諦めなければいつかは身につけられる可能性があるということ。

自分の問題を持て余して日々悶々としている私はそれらひとつひとつの習練を今から積みはじめなければこの悶々は永遠つづくか、憎しみに転化させていずれすべてを燃やしてしまうだろう。それはいやだ。フロム先生のくれたヒントを頼りに積み上げよう。崩れても淡々と積み上げよう。

けれど、読み終わりしばらくしてひとつの疑問が立ちのぼった。お風呂に入っていた時にふと思ったのだ。

「フロム先生の説く“信念”の実践の末に他人から傷つけられたとき、私の愛はどうしたらいいのだろう?」

本には愛の技術の習練、愛(のように考えられているもの)にどのようなものがあるかについては多くのページが割かれているけれど、愛した結果については書かれていないように思う。

もしかすると愛の習練の達人(上級)まで辿り着いた人には答えられるのかもしれない。答えを急ぐんじゃない、と早速たしなめられている気分。だけど、現にそういった問題を抱えている私にとって、その答えを予感できずに愛する技術を身につけるため自分を委ねることはとても怖い。

その問いを忘れられずまた悶々としながらエックス(初めて言ったけどまったく落ち着かない。ツイッターでしょ)のタイムラインを眺めていると、大好きなシンガーの青葉市子さんのコラムが更新されたという投稿が目に入った。

最新の投稿も彼女の人となりを感じるものだったけど、なんとなく遡った過去の彼女のコラムのなかに、ひとつの答えを見つけた。

ちょっと散歩に出ました。すたすた歩くと気持ちがいい。
梅が咲き始めている。鳥がいる。風が小さな竜巻になって葉っぱがくるくるしている。
日頃からふつふつと考えていたことが、文字になって、ぽわんと見えた。そこには、「だれのことも、さばくことはできない」と浮かんでいました。そうか、こんなこと考えていたんだ。

傷つくことがあったとして、悲しみがこりかたまって、この人がやった・こんなことされた、って思うときもあるけれど、だからといって、その人をさばくことは、人が人をさばくことは、決してできないんだってこと、自分のシチュエーションでも、人から聞く話でも、、そんなことを思いながら、ここしばらく過ごしていたのでしょうね。
気づいて掬ってあげると、空に浮かんでいた文字たちが、スーッと透明になってゆきます。ばいばいね。

傷ついたんだなと思ったら、まずは、傷ついたことを認めちゃって、それができたら、次は回復することに専念して、できれば、変に縁切りだとか拒絶とかにエネルギーを使うのではなくて、とことん自分に栄養をあげることに集中する、と、だんだん大丈夫になっていく。ゆるんでほどける。嫌なことは忘れちゃうくらいがちょうどいいね。

そう、お気に入りの人だけ、自分にとって怖くない人だけで作られる社会は多分、あったとしても、ずっとは続かない気がするの。こんなに人が(人以外も)いるんだから、会っちゃうし、むずかしいよね。ある程度、心地よい人も、そうじゃない人も入り乱れていて、たまに躓いちゃうようにちゃんとできてる。きっと。じゃ、躓くときにはおもしろい決めポーズでもしちゃおっか。

ずっと悟りをひらいている状態なんてむずかしいけれど、何度も何度も、状態や環境を良くしよう、と立ち上がり、上を向くことはとっても素敵。何度もそうしたい。何度してもいい。経験して少しずつしわが増え、柔らかくなっていくのが美しく、楽しみと感じられる。今この時代に生きている皆々と一緒に。そうありたいな。

青葉市子のウェブサイト 2023年2月11日のコラムより引用

フロム先生は「信念にしたがって生きることとは、生産的に生きること」だと説く。生産的という言葉が氾濫する現代において生産的に生きるという言葉にはなんとなく反感を抱いてしまう。けれど、市子さんのいう「何度も何度も、状態や環境を良くしよう、と立ち上がり、上を向くこと」こそ生産的に生きるということだと素直に思った。

自分の愛した結果がうまくいかなかったら苦しいし悲しい。そのひとを嫌いになれずに忘れられずに、代わりがいるとも思えずに。あるいは他のひとやもので埋められず、穴が穴でありつづける虚しさに。

市子さんの境地にいけるのはずっと先だろう。彼女は修練を積んでいる。私はここからだ。いつかだんだんと大丈夫になることを信じて。

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