目を澄ます
今年すべての出来事のなかでも、秋に参加したダンサー・振付家の湯浅永麻さんが主催するnosmosisによる連続ワークショップ「ダンス&ダイアローグ」は印象に残っている。
今年すべての出来事のなかでも、秋に参加したダンサー・振付家の湯浅永麻さんが主催するnosmosisによる連続ワークショップ「ダンス&ダイアローグ」は印象に残っている。
「好きなものがあって羨ましい」と言われたことは一度じゃなかったので、自分にとって苦労して獲得したものではなかったけれど自分はラッキーなのかもしれない。そのくらいのぼんやりとした輪郭でその言葉を受けてきた。また、目の前の人にだって好きなものはあるだろうにまるでないかのように言うのが不思議だった。
より正確に話せば、私は昔から好きなものがはっきりしていると言うよりも嫌いなものがはっきりしていたのだと思う。その結果気に入っているものが好きなものとして際立って見えていた……。私にとってというよりは、おそらく外側にいる人たちから見たときに。
今年、スカウトにまつわる話がふたつある。ひとつは思いがけず「してしまった」話、そしてもうひとつは「されてしまった」話。
「お揃いのもの」に思い入れはもともとないほうだと思う。むしろ他人と全く同じものを持つのはつまらないとはっきり思うほうで、だからこそ「違う」ことは喜びだった。はずだった。
フラメンコを初めて観たのは2021年、スペインに1年限定で住んでいた時に旅行で訪れた南スペインでだった。スペインと言えばフラメンコのイメージが当然のようにあったけど、住んでいたバルセロナでよく見かけるのはルンバ・カタラーナで、所謂フラメンコが南スペインのヒターノたちによる踊りを指すことを知った。
特に何か持病があるわけじゃない。ただちょっとした不調が増えただけと言えばそうだし、皆口に出さないだけで不調との付き合い方を試したり、鍛えたりしている人のほうが大半なのかもしれない。
でも、そもそもそんなに丈夫だったんだっけ?と最近よく5年くらい前までのことを思い返す。我ながらバリバリと遅くまで働き、いろんな場所に顔を出し、寝食を疎かにせざるを得なかった日々のことを。
私たちは生まれる場所を選べない。生まれる時代も、たぶん生まれる星も。そのどうしようもないことに時々思い当たり、心底不思議に思う。例えば戦争のニュースを聞くとき。当該国とされる国々の、いずれの市民でもある可能性があった(ある)のではないかということ。
『愛するということ』(The Art of Loving)はドイツの社会心理学、精神分析、哲学の研究者であるエーリッヒ・フロムの著書。初版は1959年、私が読んだ新訳版は1991年に出版されている。最初に出版されて60年以上経つにも拘らず、本書が説く「愛」「愛する技術」は古びるどころか現代ますます切実さを帯びて響いてしまうようだ。(初版当時の物言いや時代ゆえの古さはある。その点、新訳版がおすすめ)
私は2020年から1年間、バルセロナに滞在していた。毎週通っていたエンカンツの蚤の市の気のいい店主がJaferだ。飄々としていて和やか。歌うような調子でお客や同業者に挨拶する姿を行くたびに見かけていた。
例えば自分が「いいな」と思っていたものでも、誰かが「取るに足らない」と言ったのを見聞きした途端、それまでよく見えていたものが霞んで見えてしまう。そういうことはよくあることだろう。