完璧な関係
「この人のためなら死ねる」と思ったことは一度だけある。ひとりの他人と同じくらい思い合って、伝え合って、お互いがお互い以外にいないと信じていた時のことだった。
それは恋愛ではなかった。
「この人のためなら死ねる」と思ったことは一度だけある。ひとりの他人と同じくらい思い合って、伝え合って、お互いがお互い以外にいないと信じていた時のことだった。
それは恋愛ではなかった。
今年初めに母のヨーロッパ旅行に同行した際、再訪したスペイン・バルセロナでは(その全ての人に会うのは叶わなかったけれど)会ってどうしてもお礼を言いたい人たちがいた。アパートの隣人マルタとその仲間たち、バルセロナの生活を何倍も楽しく心強いものにしてくれた現地の日本人の友人たち、そして八百屋のお姉さんと蚤の市の店主Jaferだ。
モスクワにいるAnnaと通話した。彼女とはバルセロナに暮らしているときに友人になったロシア人で、先日のスペイン旅行で会う約束をしていたのだけどVISAの更新ができずに一度帰国を余儀なくされ、今はモスクワでVISAが降りるのを心待ちにしている。
先日、15日間かけて母とスペイン・フランスを旅してきた。
当初は父も一緒に行く予定だったものの仕事で都合がつかなくなってしまい、父も揃ってとなるといつ実現するか全く見えない。ここ数年で「行ける時に行かねば叶わない」ということがすっかり身に沁みていたので、とりあえずふたりで行こう!と昨年中に決めていた旅だった。
20代半ばくらいまでの私は本当によく食べ、よく飲む人間だった。といってもアルバイト雇用が長かった私の収入は当時とても少なかったので普段からたくさん食べるわけではない。バイト先での賄いや誰かがご馳走してくれる時に食べる量が人よりも多いというくらいだったけど、とにかく食べるのでよく驚かれた。
幸せなことに、友人には恵まれてきたと思う。いじめに起因した不登校時代を含めても、私に大好きな友人がいなかったことは片時もなかった。その多くは女性で、とりわけ年上の友人が多い人生を送っている。
今年の3月から4月に掛けて訪れたチェコ滞在の1週間前の週末、インスタグラムを通じて不思議な連絡をもらった。
知らないアカウントから突然のDM。大抵はスパムまがいのものなのでスルー、でも、念のため。メッセージを見るとスパムらしからぬ文面。
先週は初めて訪れた松本の印象を民芸をキーワードに書いた。松本民芸館に行けば国内外の手仕事に出会うことができるけれど、本当は松本の街を歩くだけでも、「古き良き」人の暮らしの気配が感じられる場所が点在している。その多くは小売りのお店やカフェなどの小さな個人商店だった。
私的なベビーシッター体験を思い起こして書いた先日のブログは、私の予想と反して数日のうちに最も読まれた記事となった。普段インテリアや蚤の市について書くことはとても楽しいけれど、自分の心のなかのことを書くことは苦楽以前に必要なことなのかもしれない。自分にとってインテリアという言葉が物質を表しているのではないことを改めて思う。物も人間も記憶のような掴み所のないものさえも、インテリアのなかで溶け合っている。
今年の夏、初めて松本市を訪れた。行きは新宿から高速バスで帰りは「あずさ」に乗って。行きのバスは渋滞で予定よりも1時間半遅い到着になり少しくたびれたものの、東京からのアクセスの良さに驚く。それでも大きな夏雲と北アルプスの山々が街からも見える景色は旅心くすぐるのに十分な非日常だった。