完璧な関係

完璧な関係

「この人のためなら死ねる」と思ったことは一度だけある。ひとりの他人と同じくらい思い合って、伝え合って、お互いがお互い以外にいないと信じていた時のことだった。

それは恋愛ではなかった。

そのとき私は10代で、相手は1番の友だちだった。小さくも大きくもない地方都市で、似たり寄ったりの別々の学校に通いながら、お互いを必要としていた。私たちは共通の言葉と遊びがあるので一緒にいるのを楽しむのは簡単で、互いに互い以上の存在はないと伝えることを憚らなかったのでその言葉を信じ切っていた。

同じ狭い世界にいたふたりなので、疑う余地はなかった。「あなたとわたし」で完結する世界の幸福を知ったのはあの頃だったと振り返って思う。その頃の私たちにとって恋愛は外の世界での出来事で、私たちの内側にまで侵食するようなものではなかった。心配事は限りなくゼロに近かった。

ぴったりと寄り添っている状態を喜び合うのには、その状態が完成形であってそれ以上も以下もないことを双方が確信している必要があるように思う。そしてそれは外部から影響を受けない。

お互いの日常が交差せず触れる物事や人が違う今、たとえあの頃と同じシチュエーションを用意しても私たちはもう同じ形をしていないということを漸く理解しはじめている。

その形が綺麗だったことを知っているので、重ならなくなったことは少し悲しい。もうお互いのためだけに死ねると思えないのは寂しい。

ただ、私たちは依然としてお互いを必要としている。日々の細々としたことを同じ言語で共有できなくても、的確に励まし合うことが困難であっても。

赤ん坊と母親や新しい恋人たちと同じように友情も完璧な関係のその先の在り方があることを思う。

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