八百屋のスーネ姉さん

八百屋のスーネ姉さん

今年初めに母のヨーロッパ旅行に同行した際、再訪したスペイン・バルセロナでは(その全ての人に会うのは叶わなかったけれど)会ってどうしてもお礼を言いたい人たちがいた。アパートの隣人マルタとその仲間たち、バルセロナの生活を何倍も楽しく心強いものにしてくれた現地の日本人の友人たち、そして八百屋のお姉さんと蚤の市の店主Jaferだ。

八百屋のお姉さんについては初めて書く。彼女は私やマルタが暮らしたアパートのすぐ目の前、小さなPlazaにある小さな八百屋さんの看板娘だった。トマト、ズッキーニ、きのこ、玉ねぎ、じゃがいも、生姜、その時々のフルーツ。なんでも安く必要な分だけ買えて、何より家の目の前だったので本当に1年間お世話になった。

看板娘のお姉さんはアジア系の女性で、最初に私が訪れた際、八百屋の買い方がわからず(2020年当時パンデミックの最中だったため店先にぶら下がっていたビニール手袋をつけるなどする必要があった)、バルセロナに来たばかりだった頃の私はスペイン語で尋ねることもできず、入り口で棒立ちになっていたところを優しく教えてくれた。

外国に住むとき、必需品を買いたい場所で難なく買える安心感はとても大きい。スーパーなどではセルフレジも増えて英語表記にすることもできるので、外国人がストレスなく買い物できる場所も多くある。けれどバルセロナには小さな個人商店も多く、マルタはよく「豆は豆屋、サルシッチャは肉屋、野菜はメルカードで買うのが一番」と言っていた。そしてそれは本当だと思う。

小さなお店ではコミュニケーションが必ず発生する。時にそれが億劫に感じることもあるけど、なにより「そこに暮らしている」実感を得られることは嬉しい。地元の人たちからしたら当たり前のことだけど、外国人の私にとっては小さな自信と確かな生活の記憶をつくるのに大事な経験だった。ありがたいことに、辿々しいスペイン語でも嫌がらず対応してくれる店主やスタッフの人たちがバルセロナには多かったように思う。

看板娘のお姉さんは買い物に行くたび明るい挨拶をしてくれて、お会計の時には何気ない短い会話をしてくれた。少しだけ日常会話ができるようになった頃、「スペイン語上達したね!」と言ってくれたときはとても嬉しかった。それは本当に話せなかった一番最初と比べて、ということだと分かっていてもそうやって話しかけてくれる人がいるということに感激してしまったのだ。

帰国間際のバタバタでお姉さんにお別れをいうことができず、マルタに伝言を頼んだだけになってしまったのが心残りだった。そして今回。小さなお土産とお礼のメッセージを書いたカードを携えて八百屋に行くといつもならレジに立っていることの多いお姉さんが見当たらない。

「ここでいつも働いている女性に会いたいのですが……」不安な気持ちでお店のひとに尋ねると、奥から野菜を持ったお姉さんが出てきて不思議そうに私を数秒見つめたのち、あっ!という顔になった。(そういえば私たちはほとんどマスクなしで会話したことがなかったことを後になって思い出した)

きっと覚えていてくれているだろうと思っていたけれど、現実に目の前にすると急に不安になるもの。それを打ち消すように早口になりながら「会ってお礼を伝えたかったんです」とお土産を渡すと、最初事情を飲み込めず驚いていたお姉さんの顔に安堵の表情が浮かび再会を喜んでくれたので、心からホッとした。

ひとしきり現在の暮らしや今回の旅行の説明したあと、ずっと聞きたかった名前を尋ねると「スーネ」だと教えてくれた。スーネ姉さん、と早速心のなかで呼んでみる。「あなたのおかげでバルセロナでの生活は本当に楽しかったです」。

以前、マルタと近所のお店の話になったとき、スーネのことを本当に感じのいい女の子と言っていた。お店を通り過ぎるだけでも私を見つけたら手を振ってくれるような彼女のことだ、そう彼女を評する人が他にもたくさんいることだろう。詰まるところ、スーネはいつもしている接客を私にもしてくれただけだけど、その何気ない彼女の優しさは私のなかのバルセロナを今でも輝かせてくれる。

スーネとの思い出で今日は胸がいっぱいになってしまったので、Jaferとの再会についてはまた次回に。

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