外国から音楽がやってくる
2020年11月からすでに2回延期になっていたBrad Mehldauのソロコンサート。1月のスケジュールが6月になっても、正直本番を迎えられる気がしなかった。6月のが延期になってしまったら次はいつだろう、きっともう日本に帰国しているかもしれない……
現実味のない本番予定日を一応はカレンダーに入れながら、会場になっているカタルーニャ音楽堂のプログラムをたまに覗いて延期 / 中止のお知らせを見逃していないか確認をして。
とうとう本番3日前になっても変更のアナウンスがないまま、半信半疑で迎えた当日。その日になっても海を渡ってはるばるMehldauが同じ街にいることが想像できない。
手元にあるチケットは紙切れにしか見えない。私を含めて多くの人たちは楽しみにしていたライブや舞台、旅行が直前になって消えてしまうことにこの1年半で慣れてしまって、手放しに何かを楽しみにすることにブレーキをかけてしまっているのかもしれない。
もしかして本当に今日こそ聴けるかも。ならば今日はハレの日!と普段よりお洒落をしてホールに向かう。家からは歩いて10分ちょっと。会場には11月から待っていた人、延期されたからこそ機会に恵まれた人、いろいろな人たちが入場の列をつくっていた。ここにきてやっと現実味が増してきて、夢心地が足元に迫ってくる。
まず1杯飲んで落ち着かなければ。開演10分前、ホール併設のカフェで小さなビールをぐっと飲む。急いで入場を済ませてホールに入ると、ロマンチックで生命力あふれる装飾が賑やかなカタルーニャ音楽堂の魔法がさらに夢心地にさせる。
けれど、一瞬我に返る。購入したはずの席がどうみても見つからない。係員の人に尋ねるとやはり見つからないらしく、他のスタッフに確認しますと別の人を連れてきた。取った覚えのない前から3列目のすごくいい席を指して「席はこちらです」と笑顔でその人は言う。
状況がわからないでいるとスペイン語で、チケットを早いタイミングで購入していること、今回の日程でチケット価格をディスカウントして再販していたことが理由で席を優遇してくれたらしいことを教えてくれた。最終的に会場はキャパシティを保った上で満席だった。
予定よりもずっと近くにあるピアノ、低く調整されたピアノ椅子。間もなく照明が落ちてイベント主催者(2020年バルセロナジャズフェスティバルのプログラム)がやっと迎えられた本番について言葉少なに、でも大きな喜びが観客にも伝わってくるスピーチをしてすぐ、Mehldauがステージに現れた!ここでやっと本当に喜んでいいのだと思えた。
演奏はコロナ禍に作曲したオリジナル曲からはじまって流れるようにRadiohead、David Bowie、The Beatles、John Coltrane、Thelonious Monk。アンコール3回、カーテンコール2回。ほとんど喋らないけど終始渋い笑顔で気持ちよさそうだった。淡々と穏やかに広がる日常の景色のなかに成熟した意志のようなものが根底に響いているように感じた音楽。その夜は、熱いのとは違う優しい音楽だった。これから夏に向けて、そのままMehldauはソロとトリオの両方で欧州ツアーがはじまる。
コンサートのあいだ、次にどんな音がくるか予想することをすっかり諦めて心を開き切って音楽が流れるまま委ねることがどんなに嬉しいことかを思い出していた。外国から音楽がやってくることがこんなに手間のかかることで、それが実現したならば奇跡と呼んでも大袈裟じゃないということを思った。
世界はやっぱり広かったんだな、とも思った。近いと思うことで見落としてしまう有難さがあった。目の前で素晴らしいことが起こって、それを双方が感謝しあえる。
世界が元通りになっても、その気持ちや心に音楽が一音入ってきた時今までの渇きを知って泣きたくなった感覚を忘れたくないと思う。