蚤の市便り(DAY11)
このあいだ、リクエストが重なって同年代の友だちをふたり蚤の市にお連れした。バルセロナの街に詳しい人たちもエンカンツの蚤の市は行ったことがない人が結構いるようで、連れてって!と言われることが増えた。
スウェーデンやフランスの蚤の市などと違ってカオスな蚤の市なのがエンカンツの魅力なのだけど(経験上、ベルリンの蚤の市もカオスに分類される)、ちょっと素敵な蚤の市を想像されていたらどうしよう…。不安を消すため必要以上に「本当に雑多な蚤の市だよ?」と行く前から念を押す。全然いいよ!と請け合われて、それならばと一緒に向かったのだった。
一緒に行ったある女の子は着くなり古いグラフィック系の雑誌をあさりはじめた。どんなものを探しているのか聞いたら「イラストレーターをしている好きな子にあげる」のだそうで、参考になりそうなものを見つけて贈りたいのだと言う。その子はカエルモチーフが大好きだそうで、「カエルのを見つけたら教えて!」とも言われた。(なんて健気なのだろう!)古雑誌にも、カエルにも目をくれたことがなかったので新鮮だった。そういう気持ちで歩き回るとそれらしきものが目に留まる。見えるものは心持ちで違ってくる。
目的を持たずに探すことが好きだけど、「カエル」みたいに標的をもつことも楽しい。そうしないと見えてこないことがあるのも面白い。人の目の不思議で、全体を捉えているのに全然見えてないものが視界の中にたくさん存在する。たくさん商品の乗った小さなテーブルを5分くらい見なければ認識できない雑貨がある。
また、彼女は昔からおばあちゃんに連れられてポルトガルやマカオの蚤の市を歩いていたそうで、おばあちゃんの指示のもと、ものの値打ちを知るためにブランドの情報を購入前にネットで調べたりしたと話してくれた。私はどうしているの?と聞かれて、そういえば私は購入前に情報を調べたりしないことに気が付いた。
陶磁器類は蚤の市で購入しはじめてからある程度長いので、今までの経験上でわかるブランドもある。その場で分からなかったものも多くあるし、それ以外の素材や用途のものは分からないものの方が圧倒的に多い。けれど、蚤の市では気に入ったものはまず買う。そして家に帰ったらネットを駆使して調べる。その瞬間はすごく楽しい。宝物かどうか知らずに買っているから、自分の手持ちの宝くじの当選番号を見に行くような気持ちになっているのかもしれない。
もちろん、広大なネットを検索しても見つからない名の知れていないものをつかむこともある。なるべくないように注意しているけどお土産物として昔売られていたものを素敵だと思って買うこともある。でもそこまでの期待や落胆を含めて良い経験になっている感覚がある。少額だからこそそういえる部分はあるけれど、お金がもたらしてくれる面白い経験だと思っている。
日本らしい鶴のモチーフなのだけど絶対に日本で作られていないとわかる絶妙にゆるい表情の鶴とやや不恰好だけど丁寧に作られた飾りがかわいいアクセサリーケース。
手描きの芍薬のような模様がアンバーのガラスに映えるブランデーグラス。
スズランが施された厚めのガラスプレート。そして、このユーモアからはちょっと想像できない歴史あるリモージュ焼きのバターケース…これもほわん、としてしまう可愛らしい手描き。