蚤の市便り(DAY14)
自分が何かを継続的に勉強したり、何かを習慣にしたりすることがとても苦手なのだと気がついたのは割と最近のことだった。最初は意欲が湧くのに続かない勉強。ヨガやストレッチのようなものもルーティンになったことがない。そんな私だけれど、蚤の市通いだけは習慣になっているとそろそろ言ってもいいかもしれない。
週に4回開かれるエンカンツの蚤の市には週2回ほど通い続けている。勉強やエクササイズと違って、やれば賢くなるわけでも体型が変わるわけでもないので、私がやらなきゃいけないことはただただ歩いて会場に行くことそれだけ。
ただ、通うようになればなるほど「見る」ということについて、「見えている」と思っているものについて考えるようになった。
会場を5周ほど見て回ることがある。エンカンツは玉石混交だけど、モノなら山のようにある。気に入ったものを何も見つけられないとき、自分に見えてないものがあるのだと思えて仕方がない。こんなにたくさんあるんだもの。実際何周もしていると、それまで気がつかなかったものが見えてきたりする。一見よく見えない、埋もれているものを手に取ろうという気になったりする。
見えていないものがこれだけあるということを、蚤の市は無邪気に楽しく教えてくれる。1周目で見えているものがほんの一部分だということに自信をなくしたり、日常生活でも同様なのかと気が遠くなったり、焦ったりする思いもある。本当は1度にきちんと見ることができたら……。もしかすると人の目は見たいものしか目に留まらないようにできているのかもしれない。
好きなものを時間をかけて見ることは苦痛じゃない。だから私は行き慣れた会場をぐるぐる、ぐるぐると見て回れる。見ることに苦痛を強いるものはどうだろう。何度も目を凝らして見ることは難しいかもしれない。だからせめて、「見えている」と思っているものに盲目的にならないことを自分に言い聞かせたい。